明治22年(1889年)に市制・町村制法が施行され、それまでの13か村、すなわち、関堀村、上川俣村、下川俣村、海道新田、竹林村、今泉新田、大曽村、山本村、岩曽村、長岡村、横山村、瓦谷村、岩本村の村をそのまま大字として豊郷村が発足した。
当時は河内郡の主要部分を占め、宇都宮の北に位置する大きな村であった。
その後、宇都宮市への一部編入等が行われ、昭和29年(1954年)に町村合併により豊郷村全体が宇都宮市に合併した。
昭和30年代からの高度経済成長の波は豊郷地区にも押し寄せ、隣接地への大規模工業団地造成や西部の丘陵地帯に大規模住宅団地の開発、東部台地の下川俣町・岩曽町・竹林町などに住宅が造成され、著しく人口が増加した。
交通の面では、東北新幹線が開通し豊郷地区の景観を一変させ、宇都宮環状線の全線開通・田原街道・白沢街道・豊郷田園通り・岩曽中通りの整備などにより交通の便は格段に向上した。
文化面では、長岡最終処分場の跡地に長岡公園が整備され、更に長岡町の丘陵には帝京大学理工学部が開設され、うつのみや文化の森公園・豊郷台中央公園など大規模な公園が整備された。
うつのみや文化の森公園には、宇都宮美術館が開館し宇都宮市の学術・文化ゾーンとなっている。
北山霊園の整備、霊園に隣接して戦没者慰霊塔の建設、更に宇都宮市夜間休日救急診療所・済生会宇都宮病院の中央本町からの移転開院、宇都宮市保健所の開設など多くの公共的施設が整備されている。
遺跡・文化財の面では、宇都宮グリーントラスト活動や長岡百穴愛護会・瓦塚古墳群愛護会・北山古墳群愛護会・瓦谷や関堀の無形文化財保存会など緑地や文化財の保存活動も活発に行われている。
平成8年(1996年)には、宇都宮市制100周年記念事業が実施され、豊郷地区では各種イベントのほか、郷土誌「豊郷のすがた」の編纂や豊郷の歴史を刻んだ散策路「豊郷まほろばの道」の選定などが行われ、地域住民に親しまれている。
豊郷地区は宇都宮市の北東部に位置し,南部は市の中心部から比較的近距離で市街地に接している。
地区の形状は一部に突出部はあるものの、南北に長い台形をなし南北約7キロメートル、東西約6キロメートルで、田川の西部地域、田川の東部地域(北部)からなっている。
田川の西部地域には、一部に凝灰岩を産出する宇都宮丘陵が見られる。宇都宮丘陵は田川による浸食作用で南北に分断され、瓦谷横谷を形成している。
南部丘陵は、標高150から200メートル、平地からの高さは40から60メートルで、豊郷台・富士見が丘の住宅団地となっている。
丘陵内部は湧水を水源とする小河川による開析谷が発達して、求喰川、向川の水系を形成し、田川に注いでいる。
丘陵の南部は八幡山に接し、仏舎利塔はこの丘陵の西部にある。
北部丘陵の南東部には、北山古墳群が地形を利用する形でつくられ、現在は北山霊園と一体となっているように見える。
南部には、豊郷北小学校、ニュー富士見が丘団地等があり、田川を挟んで南部丘陵と向かい合っている。
中央部には、一侍川が丘陵の湧水を集めて南に流れ、北部から西部にかけては山林が広がっている。
豊郷地区は、昭和29年(1954年)に旧豊郷村が宇都宮市と合併し、横山町、瓦谷町、関堀町、長岡町、岩曽町、山本町、竹林町、今泉新町、下川俣町、海道町、川俣町、岩本町、御幸ケ原町の13町が誕生した。
しかしながら、実態としては各種の住民活動の母体となる豊郷地区連合自治会を構成する自治会の範囲、または旧豊郷公民館の所轄区域(豊郷中央、南、北,海道の各小学校の通学区)をもって豊郷地区の区域としている。
昭和30年代の中ごろになると高度経済成長の時期を迎え、平出工業団地の造成による工場の誘致が開始され、さらに清原工業団地の造成により、宇都宮市は北関東の工業都市として発展し人口の増加が続いた。
豊郷地区は、こうした人口の増加に応えるべく大規模住宅の開発が進められ、地区西部の宇都宮丘陵には、富士見が丘団地・ニュー富士見が丘団地・豊郷台団地が造成された。
東部には水田地帯が広がっているが、市街化の進行が著しく、岩曽町・下川俣 町・竹林町は開発が進み、人口が大幅に増加した。
地区別面積(単位:平方キロメートル)
地区名 | 本庁 | 平石 | 清原 | 横川 | 瑞穂野 | 国本 | 富屋 |
面積 | 37.16 | 21.12 | 42.08 | 18.55 | 19.52 | 24.25 | 17.00 |
豊郷 | 篠井 | 城山 | 姿川 | 雀宮 | 上河内 | 河内 | 宇都宮市 |
23.73 | 26.56 | 39.44 | 23.84 | 18.00 | 56.96 | 47.72 | 416.84 |
豊郷村の時代から「田どころ」として米麦が中心の地域であった。
昭和30年代から40年代にかけて、玉ねぎ、しいたけ、きゅうり、かぼちゃなどの生産部会を設立して活発な生産活動が行われていたが、生産者の減少等により規模縮小の傾向が続いている。
地区の南端の競輪場通りから北部地域では、比較的中心市街地に近い地域でありながら調整区域でもあることから、広範囲にわたって水田地帯が広がり、農業生産の役割を担うだけでなく、人々に潤いと安らぎを与えている。
近年の農業者の老齢化・後継者の不足などにより、厳しくなってきた農業経営の安定化策として、地区の有志により請負耕作組合が設立され、国、県、市、農協の指導・援助を受け水稲の育苗から栽培、収穫までの各部門を請け負っている。
地区 | 戸数(戸) | 人口(人) | 経営耕地面積(ヘクタール) | |||
田 | 畑 | 樹園地 | 計 | |||
豊郷地区 | 433 | 2,113 | 604 | 72 | 28 | 704 |
宇都宮市 | 5,427 | 25,935 | 6,218 | 1,193 | 477 | 7,888 |
(平成12年・2000年 農林業センサスより)
昭和40年代以降、下川俣町・岩曽町・竹林町などの白沢街道沿いには諸業種の商店が進出して商店会等も設立された。
また、平成8年(1996年)7月には宮環が開通したことに伴い、環状線沿いに大型スーパーなどが出店、同年10月には競輪場通りに百貨店が移転開業し、その後豊郷台には大型専門店が出店するなど、豊郷地区の人口増加とともに商業活動も活発になっている。